プリティ・ロックンロール −スレッドカラーズ短編−

Written by 二級抹茶.
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「へえ。先輩の家って、結構広いんですね」
 鳴滝さんは、あたりを見回しながら興味深げだった。
「とりあえず上がってよ」
 そう声をかけた。十二月なので、玄関でも冷え込みを直に感じる。
「それでは、お邪魔します」
 一足先に靴を脱いだ僕は、鳴滝さんが脱ぎ終えるのを待った。かがんで靴を揃え直す鳴滝さんの様子が優雅で、そんなところからもお嬢様らしい育ちのよさを感じてしまう。僕たち以外の靴は見当たらず、まだ美桜は帰ってないようだ。
 それから僕は、鳴滝さんを居間へと案内した。テーブルに腰かけてもらい、カップに直接注げる小パックのコーヒーを淹れて差し出す。
「ちょっと待っててね。持ってくるから」
 そう言って、僕は修学旅行のしおりを部屋へ探しに行った。檜枝高校では、二年の冬にスキー旅行がある。今年二年生の鳴滝さんは実行委員長に選ばれたため、参考に僕の学年のしおりを見せてほしいとお願いされた、という事情だった。
「たしかこのあたりに……あった」
 程なくして、しおりを見つけることができた。ついでに隣にあったアルバムも持っていくことにした。修学旅行のときの写真を集めたものだ。ちょっとした話のタネにはなるだろう。二冊を小脇に抱えて、居間へと戻る。
「鳴滝さん、お待たせ。これが去年のしおり」
「ありがとうございます。ちょっと見せてもらいますね……へえ、こんな構成だったんだ。地元のお店の地図なんかも載せていたんですね」
 楽しげな様子に、ちょっと嬉しくなる。
「今年の二年生も、一月の末ごろなの?」
「はい。結構みんな楽しみにしてるんですよ。あと、そちらも見せてもらっていいですか?」
 僕の手元にあったアルバムを差し出す。鳴滝さんが開いたページには、雄大が写っていた。スキー客の女の子をナンパしていると思ったら、その次の写真では平手打ち……お約束なやつだ。
「あの人、こんなことばかりしてるんですね」
 くすっと笑う様子に見とれつつ、何気なく質問を投げる。
「でも、どうして僕を頼ってきたの? アーチェリー部には三年生の男子もいたと思うけど」
「先輩なら、気軽にお願いできますから」
 ちょっとはにかむ鳴滝さんに、思わずどきりとする。そらした視線の先に見えたカップが空だと気付いて、話題を変える。
「コーヒーのおかわりいる? 僕も飲もうと思うし」
「それなら、お願いします」
 鳴滝さんの返事を聞いて、台所に向かおうとしたとき。
「お兄ちゃん、ただいま」
 ちょうど美桜が帰ってきた。
「あ、おかえり。病院では会ってないよね。妹の美桜」
 初対面の鳴滝さんに事情を話しても混乱させると思って、とりあえず妹と紹介する。そして僕は、鳴滝さんを美桜に紹介することにした。
「美桜、こちら鳴滝葵さん。つばさちゃんのいるアーチェリー部の部長さん。修学旅行のしおりを見せてほしいって、家に来て」
「はじめまして、鳴滝葵です。美桜ちゃん、よろしく」
 鳴滝さんは席を立って、挨拶とともにおじぎをした。
「はじめまして。お兄ちゃんがお世話になってます」
 そこで僕は、ちょっと美桜の様子がおかしいことに気が付いた。一見ふつうに答えていたが、どことなく緊張しているような感じが伝わる。そう思いつつ顔を見てみると、鳴滝さんをにらみつけるような表情をしていた。どうしたんだろうか。
「今日マラソン大会があったんだ。ずいぶん走ったから、疲れちゃった」
 にわかに振られた話題に、思わず首をかしげる。
「まだ心臓がどきどきしてるよ。ほら」
 そう言うと、いきなり美桜は僕の右手を取って左胸へと押しつけた。あたたかな温度とともに、やわらかい感触が伝わる。反射的に手を引こうとするが、美桜がくいと引っ張り離さない。このまま感触を楽しもうかという気持ちが頭をもたげ、次の瞬間には鳴滝さんがいたことを思い出して血が上る感覚が頬に伝わる。僕は完全に当惑しきっていた。
「そ、それじゃ用事もすみましたし、私、失礼します。ごゆっくり……じゃないですね。ま、また、何かありましたらお願いしますね。では、また」
 明らかに取り乱した様子で、鳴滝さんはそそくさと席を立つ。その様子で我に返って、右手を自らの胸元に取り戻す。どれくらいの時間が経過していたかわからないが、かなり長い時間に感じられた。あわてて声をかける。
「鳴滝さんっ! しおり持っていかなくていい?」
 質問にも返事が返ってこないまま、美桜と僕の二人が家にとり残された。しばらく部屋の中が、静寂に包まれていた。
「お兄ちゃん、怒ってる?」
 沈黙を破って、美桜が口を開いた。
「いや。怒ってはないけど、正直びっくりした」
「あたし、嫉妬しちゃったんだと思う。お兄ちゃんが他の女の人と楽しそうに話してたから。実はちょっとだけ前から様子を覗いてたんだ。近くで見て、鳴滝さんって本当に綺麗だなと思ったら、つい。大丈夫かな。つばささんの先輩なんでしょ。失礼なことしちゃったと思うし」
 不安そうな面持ちで言う美桜に、僕は答えた。
「鳴滝さんは言いふらす人じゃないと思うけど……ゆがんだ兄妹愛くらいには思ったかもしれない」
「やっぱり。どうしようかな」
 しょげた様子が見て取れる美桜に、優しく言葉をかけた。
「でも、僕は気にしてないし、美桜は心配しなくて大丈夫だよ。何かあっても僕がフォローしておくから、とりあえず夕食の準備頼めるかな」
 そう言いながら、僕は美桜の頭をなでた。
「へへへっ。じゃあ、お夕飯作るね」
 はじける笑顔で台所に向かう。表向きは元気を取り戻したように振る舞う美桜を改めていとおしく思い、それとともに僕たちの関係についてぼんやり思いを巡らせていた。
 美桜は以前、自慢するためではないと言ってくれた。とはいえ、さっきの鳴滝さんの反応は現実の姿を垣間見せていた。決して鳴滝さんが問題なわけではなく、誰もが怪訝に思い、真実を知った途端に糾弾するのだろう。それは当然のことだ。改めて僕たちが背負った十字架の重さを感じた。
 でも。
 誓いは僕にとって、その程度で揺らぐほど軽くない。僕が美桜を地獄へと引きずり込んだのだとしたら、業火から守ることは僕の責務だ。言い訳することなく、全てを委ねてくれる美桜を、きっと全力で包み込むことができる。
 そんな気がした。

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