想いのかけら −Close to−

【対応機種:プレイステーション2 ジャンル:アドベンチャー 発売元:KID】

 追加シナリオを含めても一通り遊ぶために必要となる時間は十時間ちょっとですし、それ以外の意味合いを含めても『大作』とは呼べないですが、記憶に刻みつけられた『いくつかの鮮烈な場面』の描写は、ひとによっては絶対に一見の価値があるかと。

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ゲーム紹介と感想

 『想いのかけら』は、プレイステーション2版が2003年7月24日(木)に発売されました。高校3年生になる直前の春休み、彼女の『柏木遊那』を救おうとして交通事故に巻き込まれた高校生の主人公『穂村元樹』が幽体離脱してしまい、しかも遊那はショックで記憶喪失になった状況で、命のタイムリミットまでに身体に戻ろうとするゲームです。

 ストーリーや基本システムは、ドリームキャストで2001年4月19日(木)に発売され、2002年10月17日(木)に『ドリコレ』として再発売されている『Close to 〜祈りの丘〜』と同じですが、そのままの移植ではなく数々の新要素が加えられて洗練されています。

 この一つ上が『Close to』のゲーム画面で、一つ下が『想いのかけら』のゲーム画面ですが、全体に描き直されているだけでなく演出要素も追加されていますし、さらには遊那の親友である『ショコラ』こと『汐見翔子』の髪型も、キャラクターデザイン・原画を担当されたごとPさんからの希望によって変更されています。

 ちなみに『Close to』のパッケージ裏面には『愛は永遠に滅びない』との記述があり、また『想いのかけら』の宣伝では『ジャンル:泣きゲー』と、直球の表現が多いですが、たしかにゲーム自体の展開も言葉の通りで、遊那とショコラに『橘小雪』と『咲坂麻衣』ふたりが絡んだ物語は巧妙かつ鮮烈で、絵柄だけで敬遠してほしくない作品です。

 そして、サウンドコレクションやドラマCDに加えてアクセサリ集『ゆーなのおへや』も発売されたりと関連商品は数多いですし『想いのかけら』のセーブデータを表示すると『デフォルメゆーな』がポリゴンで見られたりと、これ以外のキッドの作品と比較してもスタッフの思い入れを感じ取ることができるゲームです。

 また、誰かの特定のルートに入るとき【〜編】と表示するようになった最初の作品と思われますが、その表現が相応しいと思いますし、辞書の意味で『オルタナティブ』な展開もあります。一方、このゲームは遊那の部屋で記憶を取り戻すため操作できる『ルームパート』というシステムが存在しますが、遊那編以外あまり関係ないですし、システム自体はプレイステーション版『すべてがFになる』に受け継がれたとはいえ、遊那の『人形劇』や元樹の『ナイスな椅子』など、率直に言って擁護には苦しみます。

 でも『想いのかけら』でルームパートのシステムは改良されていますし、とある話の以下の文章は、遊那の言動を吹き飛ばすには十分なくらいの『なにか』がありました。

悲しみは、時とともに忘れることができるが、痛みは、時とともに激しさを増すことがある。

元樹の心理描写の一節ですが、その主旨に共感するとともに『相手を気遣う』想いが前提にあることが伝わってくるよう思えたからです。これ以外にも『一番の秘密』など、一つ一つの描写の積み上げが、幽体離脱や念動力など現実には考えにくい設定にもかかわらず『死』を背景にしたストーリーに『現実らしさ』をともなわせ、かつ魅力ある作品と遊んだひとに感じさせる理由の一つではないかと思っています。

 『想いのかけら』で追加されたルートを含めると、5種類のストーリーが描かれます。いずれも特色ある叙情的な展開ですし、初代『Memories Off』以来キッドのオリジナル作品に見受けられる『仕掛け』も含まれていますが、私は違うエンディングが見られるストーリーの『とある場面』を初めて見たとき、元樹の行動に最も心揺さぶられました。

 かなえた希望を、誰も喜ばない形に変化させてしまう行動そのものが印象深かったですし『絶対、無理ね』から始まった状況の移り変わりにも引き込まれた気がします。

 もちろん、もう一つのエンディングを評価される方も多いようですし、現在では私も、ドリームキャスト版とプレイステーション2版それぞれの題名に含まれる『祈りの丘』と『想いのかけら』が象徴する、ふたつの結末を描ききったこと自体も評価しています。いくつか同じ主題のゲームは見かけますが、それらに少なくとも並べられると確信を。

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つながる想いのかたち

 最初『Close to』が発売されたころ、すでに『Memories Off Complete』や『Never7』が発売されていましたが『Memories Off 2nd』や『Ever17』は未発売で、これらの中間に開発されたキッドのオリジナル作品と言うことができます。

 また『Ever17』から、いくつかのキッドのゲームを起動させたときに『SDR-project』とロゴ表示されるようになり、2003年に発売の『想いのかけら』もロゴが表示されます。これらのSDR-project作品に共通する要素として、いわゆる『電波』なメインヒロインが最近まで特色『だった』と認識していますが、それ以外にも考えたい部分があります。

 それは、波多緒理樹さんのHATAO STYLEでトンキンハウスの『MissingBlue』感想を読んでいたとき『はっきり』意識させられまして、以下の文章が一番印象に残りました。

何といいますか、キャラクターが世界で生きているという感じがなく、世界にキャラクターが生かされているという感じもありました。

この文章以降も記述は続きますし『MissingBlue』についての感想は波多緒理樹さんの文章を直接読んでほしく思いますが『キャラクター』と『世界』との関係を考えることが、キッドのオリジナル作品の系譜を捉えるにも興味深いのではないかと思っています。

 推理小説では、かつて『新本格』というジャンルに対して『人間が描けていない』との批判が向けられましたが、キッドのゲームも『Ever17』など『世界』を描くことが目的で『キャラクター』は手駒のように見えるといった趣旨の感想を、ときどき見かけました。このあたりは、最も主観に左右され意見がわかれる部分と思います。

 『想いのかけら』や『Close to』ですと、私には『藤崎龍作』の言動が『世界』のために振り回されているように思えましたし、小雪編や麻衣編で『つながる』運命は、ちょっと『できすぎ』と思われても仕方ないような仕掛けになっています。

 でも、たとえば翔子編の『認識違いの真実』は『Memories Off 〜それから〜』までのメモリーズオフシリーズに継承されていますし、いわゆる『ラブラブカップル』の描写も『Close to』が最初ではないかと思います。また、念動力など『ファンタジー』の要素は世界観として一部『Remember11』までのインフィニティシリーズに組み込まれたように見受けられ、つながってきたSDR-project作品の今後を見守りつつ楽しんでみたいと。

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